ポーランドには、ナチスの強制収容所がありました。
表向きは犯罪者の隔離と体裁よく扱っていましたが、その実態は労働するだけの奴隷にされ屍になるまで働かせていたのです。
犠牲者は250万人以上、そのうち80%以上がユダヤ人でした。

1941年、ヒトラーはヨーロッパ全土のユダヤ人を絶滅させるため絶滅収容所を建設しました。
絶滅収容所は全部で6ヶ所、その全てがポーランドにあります。当時、ポーランドにはユダヤ人が多かったためだと言われています。
そこは「純然たる絶滅収容所」と呼ばれ、殺戮するためだけの収容所として利用されていました。
その内2ヶ所が例外になり、労働力として生かされるか殺されるか選別される収容所が出来ました。
それがアウシュビッツ強制収容所、もう一つが今回訪れたマイダネク強制収容所です。
image

ルブリンにあるマイダネク強制収容所では、ポーランド人が最も多く亡くなりました。ドイツのポーランド侵攻の際、捕虜となったポーランド人の収容先という位置づけだったためです。

規模は東京ドーム約58個分。
敷地はナチス親衛隊エリアとフィールドと呼ばれる収容された人々のエリアに分けられます。
モニュメントからフィールドまで徒歩15分くらい。
image
この見張り小屋がフィールド入り口です。

image
ここがガス室、屋根は後からつけられたそうですが当時のまま残されています。
image
image
毒ガスとしてチクロンBという殺虫剤を用いり、その残留物が青い染みとして消えずにあります。
image
しっかりガラスがはめ込まれているこの穴から中の様子を監視することが出来ます。

image
ここで亡くなった人々の靴が詰め込まれています。

image
ずーっと奥まで続くベッド。ここでも、人がひしめき合っていたことが想像出来ます。
夏は熱が逃げず暑く、冬は隙間風で寒くなるような劣悪な環境です。

image
地面をならすためにローラーをひく仕事が最も大変な作業だったようです。

image
ここから抜け出さないための有刺鉄線は二重構造になっています。
また当時は電流も流しており、見張り小屋からすぐ見つけられるため脱走は不可能でした。

フィールドを出てしばらく歩くと霊廟が見えてきます。
image
この屋根の下はコンクリートがくり抜かれており、その中に遺灰の山が盛られていました。
image
そして右手には焼却場。
image
焼却場の前には芝生が広がり、不自然に窪んだ箇所がいくつかありました。
当時は深さ2メートル以上、長さ100メートルの穴が作られ、ここで「収穫祭作戦」と呼ばれた大量銃殺が行われました。
収穫祭は2日間執り行われ、そのたった2日で4万人以上が亡くなりました。

今回マイダネクへ行くにあたり歴史を調べている中で、ホロコースト(ナチスによるユダヤ人大虐殺)に関して否認論があることを知りました。
image
観光客が少ないと聞いていましたが、訪れた時はユダヤ人の学生たちや、正装をした男性たちがたくさん居ました。
ユダヤ人の彼らが伝統的な歌をうたい、涙を流しながら祈った、その姿が私の見た全てです。

次はクラクフにあるアウシュビッツに行く予定です。
もう少しだけ勉強して行こうと思っています。

マイダネクまでは、旧市街あたりから156番または23番のバスに乗って10分ほどで到着します!入場無料!
ただ、かなり歩くので万全の体調で挑んでください!
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ブログランキングに参加しています。
押していただくとランキングが上がり、モチベーションアップにつながります!ブログを読んで面白かったら押してください♪よろしくお願いします!!