奇岩の街ゴリスからエレバン方面に戻ること30分、シシアンというこれまた小さな町にやってきました。
そこからさらにタクシーをチャーターして30分(約20km)、山を分け入って分け入って、本当にこんなところに人が住んでいるのか、と不思議になるような山と山の谷間に今回の目的地ツグニの村はあります。
以前アゼルバイジャン・バクーのADA大学で知り合ったラフマンさんの故郷の村がここにあります。前回の記事を読まれていない方のために、簡単に経緯をおさらいすると、このツグニ村(旧名ムルフズ村)は、かつてアゼルバイジャン人が住む地域だった。約30年ほど前にアゼルバイジャンとアルメニアの関係が悪化し、アゼルバイジャン人は住んでいる場所を追われ、アゼルバイジャンに移住を余儀なくされた。アゼルバイジャン人がいなくなったツグニ村にはそのままアルメニア人が住んでいるが、ラフマンさんを始めとする故郷を追われたアゼルバイジャンの人々は、今もまだ国同士の関係が悪いため、もはや故郷に帰ることはできず、故郷に思いを馳せながら今も異国で暮らしているそうだ。
ぜひもう一度生まれ育った村を写真だけでも一目見たいというラフマンさんのお話に深く感銘を受けた我々、ラフマンさんの願いを叶えるべくここまでやってきた次第です。
シシアンの町でタクシーをチャーター。地図を見せながら「ツグニの村」に行きたいと言うと、ドライバーのおじさん、ピンときてない様子。他のドライバーも集まってきてようやく知っている人が出てきた。ああ、そりゃあ「ムルフズ」のことだね、という一言で最初のドライバーのおじさんも分かった様子。ラフマンさんによると、元々アゼルバイジャン人が住んでいた時分の名前は「ムルフズ」、今はアルメニア人が住んでいて、地図上でも「ツグニ」と書いてあるので、「ツグニ」なのかと思いきや、古い名前のムルフズの方が名前が通っていて驚いた。いずれにせよ、シシアンの町からたった20kmほどしか離れていないのに、タクシードライバーが4〜5人集まってようやく、あぁ〜あそこのことね、となるくらい、無名な村なのである。
6000ドラム(約1300円)で往復送迎と1時間の散策時間を取ってもらうよう交渉ができた。本当は行きだけ送ってもらって帰りはヒッチハイクか何かで帰ろうかと思っていたが、結果的には、車を捕まえるどころか人を見つけるのも難しいような山奥で、往復でチャーターしてよかった。
ツグニに向かう道は雄大な自然が目白押し。
高い山々や綺麗な湖、草を食む馬やヒツジの群。まさに桃源郷のようなところ。
そんな景色を見ながら約30分。舗装もないオフロードの様な道を通り、なんとか村にたどり着いた。
両側を山に挟まれ、川沿いの斜面にひっそりと佇む本当に小さな集落。
ラフマンさんにいただいた手書きの地図を元に、ラフマンさんの家があった場所を探す。
が、なにしろ30年も前の記憶を頼りに書いた地図。ラフマンさんの記憶にある目印の建物を、確信を持ってコレ!と見つけられませんでした。
しかも残念なことに、ほとんどの建物が老朽化している、もしくは完全に壊れていて、壁や土台の一部がわずかに草木に埋もれて残っている、というような状況。
そういう状況なので、わずかにでも地図に書かれた目印の場所(らしき場所)を見つけられるとうれしかったです。
今はほとんど人が住んでいない様子でしたが、馬や羊の放牧をする人が数人見られたのと、養蜂を其処此処で営んでいるようで、村の中は蜂の羽音がすごかった。
丘の上から村を見下ろす。
村は恐らくかなりの変貌を遂げているが、この景色は変わっていないと思う。
写真と動画をたくさん撮って村を去りました。
早くこの写真や動画をラフマンさんに送って見せてあげたい。
ただのフラフラしているだけの旅行者で、こんな写真だけでラフマンさんが長年抱いてきた大きな希望を叶えられるとは思わないけど、ほんの少しでも人の役に立てるなら、旅に出た意味があったなぁ、と思ったそんな1日でした。
おしまい
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そこからさらにタクシーをチャーターして30分(約20km)、山を分け入って分け入って、本当にこんなところに人が住んでいるのか、と不思議になるような山と山の谷間に今回の目的地ツグニの村はあります。
以前アゼルバイジャン・バクーのADA大学で知り合ったラフマンさんの故郷の村がここにあります。前回の記事を読まれていない方のために、簡単に経緯をおさらいすると、このツグニ村(旧名ムルフズ村)は、かつてアゼルバイジャン人が住む地域だった。約30年ほど前にアゼルバイジャンとアルメニアの関係が悪化し、アゼルバイジャン人は住んでいる場所を追われ、アゼルバイジャンに移住を余儀なくされた。アゼルバイジャン人がいなくなったツグニ村にはそのままアルメニア人が住んでいるが、ラフマンさんを始めとする故郷を追われたアゼルバイジャンの人々は、今もまだ国同士の関係が悪いため、もはや故郷に帰ることはできず、故郷に思いを馳せながら今も異国で暮らしているそうだ。
ぜひもう一度生まれ育った村を写真だけでも一目見たいというラフマンさんのお話に深く感銘を受けた我々、ラフマンさんの願いを叶えるべくここまでやってきた次第です。
シシアンの町でタクシーをチャーター。地図を見せながら「ツグニの村」に行きたいと言うと、ドライバーのおじさん、ピンときてない様子。他のドライバーも集まってきてようやく知っている人が出てきた。ああ、そりゃあ「ムルフズ」のことだね、という一言で最初のドライバーのおじさんも分かった様子。ラフマンさんによると、元々アゼルバイジャン人が住んでいた時分の名前は「ムルフズ」、今はアルメニア人が住んでいて、地図上でも「ツグニ」と書いてあるので、「ツグニ」なのかと思いきや、古い名前のムルフズの方が名前が通っていて驚いた。いずれにせよ、シシアンの町からたった20kmほどしか離れていないのに、タクシードライバーが4〜5人集まってようやく、あぁ〜あそこのことね、となるくらい、無名な村なのである。
6000ドラム(約1300円)で往復送迎と1時間の散策時間を取ってもらうよう交渉ができた。本当は行きだけ送ってもらって帰りはヒッチハイクか何かで帰ろうかと思っていたが、結果的には、車を捕まえるどころか人を見つけるのも難しいような山奥で、往復でチャーターしてよかった。
ツグニに向かう道は雄大な自然が目白押し。
高い山々や綺麗な湖、草を食む馬やヒツジの群。まさに桃源郷のようなところ。
そんな景色を見ながら約30分。舗装もないオフロードの様な道を通り、なんとか村にたどり着いた。
両側を山に挟まれ、川沿いの斜面にひっそりと佇む本当に小さな集落。
ラフマンさんにいただいた手書きの地図を元に、ラフマンさんの家があった場所を探す。
が、なにしろ30年も前の記憶を頼りに書いた地図。ラフマンさんの記憶にある目印の建物を、確信を持ってコレ!と見つけられませんでした。
しかも残念なことに、ほとんどの建物が老朽化している、もしくは完全に壊れていて、壁や土台の一部がわずかに草木に埋もれて残っている、というような状況。
そういう状況なので、わずかにでも地図に書かれた目印の場所(らしき場所)を見つけられるとうれしかったです。
今はほとんど人が住んでいない様子でしたが、馬や羊の放牧をする人が数人見られたのと、養蜂を其処此処で営んでいるようで、村の中は蜂の羽音がすごかった。
丘の上から村を見下ろす。
村は恐らくかなりの変貌を遂げているが、この景色は変わっていないと思う。
写真と動画をたくさん撮って村を去りました。
早くこの写真や動画をラフマンさんに送って見せてあげたい。
ただのフラフラしているだけの旅行者で、こんな写真だけでラフマンさんが長年抱いてきた大きな希望を叶えられるとは思わないけど、ほんの少しでも人の役に立てるなら、旅に出た意味があったなぁ、と思ったそんな1日でした。
おしまい
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コメント
コメント一覧 (4)
涙出ました!
あっぱれです!!
星5ついただきました!!!笑
いや〜想像以上に山奥で驚きました!
村人にもほとんど会わなくて、家もだいたい廃墟みたいになっているし、悲しい気持ちになりました…。
でもラフマンさんにさっき写真送って、とてもよろこんでいただけたので使命は果たせたと思います!笑
また次回お会いする時に写真お見せしますね!(^o^)
本当に、本当にありがとう!!!
涙が止まらず写真の全てを必死に見た、同じ写真、同じビデオを何回も、何回も。。潰れている実家の様子も確認。。しかし、一番見たかった母の墓を見つけなかった。生きている間、私を産んでくれ、9年間育った母の墓参りをしたい。父も、姉も同じ夢を叶えず亡くなったが、僕はどうなるのかな、夢が叶えるのかな。。
そして、お母様のお墓を探し出すことが出来ずに本当にごめんなさい。
ラフマンさんたちの計り知れない想いの欠片を持ってあの地に立てたことを誇りに思っています。
ムルフズは今も、美しい緑と清んだ川が流れていて、草花がたくましく咲いていました。
皆様の想いが、あの穏やかな場所に帰る日を私たちも心から願っています。
また、何か出来ることがあれば遠慮なくご連絡くださいね!!!